「お前、ほんとバカだな!」
「こんなことも分からないのかよ!」
「逆に何ができるの?」
私が新卒で入社した会社の上司に毎日のように言われていた言葉です。
今思えばとても懐かしく思えます。
自己紹介が遅れました。
私、たっしーと申します。
28歳サラリーマンです。
私の経歴をご紹介しますので、ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。
新卒で入社した工場(1社目)
私は高校卒業後、地元を離れて県外の工場に就職しました。

協力会社も併せて、従業員は約1500人だったのでそれなりに大きかったと思います。
ですが私は高卒で、頭も決して良い方では無く、勉強も全くできませんでした。
そんなダメな私ですがその時、こんな言葉を知っていました。
「勉強ができない人=仕事ができない人 とは限らない」
自分は勉強が苦手だけど、仕事は頑張って覚えて早く一人前になろう!
このような意気込みで働くことを決心したのです。

入社後、半年の全体研修の期間を経て、各部署に配属するという流れでした。
そして私が配属された部署は、工場の設備管理や修理をしたりする部署でした。
その後、その部署内の班に配属。
その班のことは、まだよく分からない状態でしたが、これはマズいと思ってしまいました。
なぜなら、配属先の部署の人たちが、新人である私の配属された班を知るや否や
「気を付けてね」
「大変だろうけど頑張ってね」
と言われたからです。
?
意味が分かりませんでした。
よくよく聞いていくと、私が配属された班の人たちの圧力が凄いとのこと。
パワハラと言われる部類の圧力です。
今でこそパワハラは聞き慣れた言葉で、問題視されています。
当時、社会人見習いの私が、先輩方にそんなエールを送られ、はっきりイメージできないまま配属されることとなりました。
配属
そしてその問題の班に配属して顔合わせをしました。
私が配属された班は、班長・中堅・新人(たっしー)の3人体制。
最初は親しくしていただきましたが、数日後から徐々に化けの皮が剥がれていったのです。
その班員の特徴を簡単に言えば、班長は高圧的で暴言を吐く人、中堅の人は暴力をふるう人。
そんなパワハラオールスターの元でわたしは新入社員として仕事をしていたのです。
そして一番苦痛だったのが、毎朝のミーティング。
朝のミーティングとは、部署の各班ごとに分かれて、昨日と当日に仕事について話し合いをします。
そこで、私の班の話し合いが終了後、質問タイムという名の説教タイムが始まります。
そして私が班長と中堅の人に分からないところを質問するのです。
そして、返ってくる回答が

「お前、ほんとバカだな!」
「こんなことも分からないのかよ!」
「逆に何ができるの?」
これらの言葉のどれか、もしくはこれに似た言葉が返ってきます。
しかも大声で私にぶつけてきます。罵倒されます。
もちろん、部署の他の班に聞こえるレベルです。
配属された部署自体は50人くらいでした。
しかし注意するわけでもなく、
「また始まったよ」
と、いつもの光景ということもあり見て見ぬふり。
班長の上司も何も言えず。
そして私はある日、こんなことなら質問しない方がいいなと思い、
「質問はないです。」と言ってみました。
すると、
「全部分かるんだ、じゃあこれは何?教えて」
と言われ、、、もちろん答えることができません。
案の定、罵声でした。
入社して間もない10代の私には、何を言っても無理な状況でした。
このように私は毎朝、公開処刑を受けて一日をスタートしていたのです。
そして一日行動を共にするのは、中堅の人で現場で作業をする時も一緒。
もちろん私は全く仕事ができません。
となるともちろん、暴言&暴力。
中堅の人は、ゴリゴリの体育会系出身でした。
そんな日が続き、ある日身体が受け付けなくなっていったのです。
特に日曜の夜、連休終わりの前日の夜がなかなか寝付けず、不安に思う日々が続きました。
仕事の日も朝起きたら、吐き気を催す日も多々ありました。

しかし、
これが社会人なのか?
これが普通なのか?
お金をいただくことはこんなにも辛いことなのか?
それなら、我慢するしかない。
私はこのように思うしかなかったのです。
なぜなら、新卒で一社目ということで他の会社と比較することができないからです。
こんなボロボロな状況でしたが、根性だけで、なんとか3年続けました。
配属されて仕事の経験を積んできましたが、なかなかできるようになりません。
状況が状況でしたので、とにかく早く一日が終わらないかと待つ日々でした。
そんなやつが、仕事ができるようになるわけがありません。
もう自分はできない人間だと完全に自信を失っており、諦めもついていました。
入社する前に目標としていた「仕事ができる人」とは程遠い、真反対にいる人に私はなってしまったのです。
こんなはずじゃなかった。
そう思いながら仕事をしていきました。
こんな状況なので私がいつ鬱になってもおかしくなかったのでしょう。
私は一旦、職場を離れることになりました。
一線から退く
部署の長から、工場内に駐在している保健師さんを紹介してもらい、そこで1ヶ月過ごすように言われました。

ですので私は、保健室登校ならぬ保健室出勤をすることになったのです。
異例です。
「あいつは何をしているんだ?」
と会社の従業員の人の目線を感じることも多々ありました。
保健室出勤時は、保健師さんに話しを聞いてもらったり、たわいもない会話をした記憶があります。
そして1ヶ月が経ち、現場復帰することになりました。
班も変更していただき、気持ち新たに頑張ろうと思っていました。
しかし、以前より働きやすくはなったのですが、どうもしっくりきません。
この頃は、約50人いる部署内にも私の後輩も数人できており、いずれ仕事ができる人と呼ばれるであろう若手有望株もいました。
そうなると私は
「仕事ができない人」
「覇気がない人」
「いつか辞める人」
私が職場を離れている間に、それとも今まで気づけなかったのか、このようなレッテルを貼られていたことを感じました。
しかし、そう思われても仕方ないなと。
ここで私は
「このままでいいのだろうか?」
「5年後の自分はどうなっているのだろうか?」
と考えるようになっていきました。

どうやら一線から退いたことで、冷静になることができたのです。
ちなみに私が就職した地域では、勤めていた会社は大企業扱いされており、将来安泰の企業だと言われていました。
このまま年を重ねて窓際族になることもできたでしょう。
しかし、どうせここに残っても、仕事ができない人、そして腫れ物扱いをされるのであれば、やってみたかったことをやってみよう!とチャレンジする道を選びました。
そして私は新卒で入社した会社を退職することになりました。
転職した音響業界(2社目)
私は以前から興味があった音響の世界に足を踏み入れることにしました。

ちなみに音響とは、音による演出のプロのことです。
そして私は、結婚式の披露宴の音響の仕事をすることになりました。
結婚式の披露宴は演出が華やかですよね。
その演出をしているのが音響さんです。
しかし結婚式ですので、注目されるのは新郎新婦。
ですので音響さんは、裏で結婚式を支えている、まさに陰の主役的なポジションなのです。
そこに私は魅力を感じ、自分もやってみたいと、親戚や友達の結婚式に参列するたびに思っていました。
そのため、この転職はある意味いいタイミングだったと言えるでしょう。
その後、音響の世界に足を踏み入れて、まずは現場で先輩に付き添い技術を学び、数をこなしていきました。
そして、独り立ちして披露宴会場で仕事をするようになっていきました。
しかしある日、私はこんなふうに思うようになったのです。
「思っていたのと全然違う」
「こんなはずじゃなかった」
なぜ私はこのように思ったのでしょうか?
退職
以下の2つが原因で結果、退職してしまいました。
- 責任重大
- 本当の裏方の仕事を知らなかった

結婚式は、人生1度の晴れ舞台で絶対にミスは許されません。
操作一つ間違えれば、新郎新婦にリクエストされていた曲と違う曲が流れます。
最悪、大事な場面で無音になる可能性も秘めています。
指先一つで結婚式を台無しにすることが可能ということです。
それを2人体制でダブルチェックすることなく、1人で対応するのです。
プレッシャー半端ないです。
また音響の仕事は、当日の曲を流すだけではありません。
◯準備
・披露宴会場の下見
・新郎新婦との披露宴の曲の相談
・流行曲の調査
◯本番
・マイクの音(音量)チェック
・照明操作
・DVD確認・操作
・余興をする人たちとの打ち合わせ
・インカムでの式場スタッフとの連携
・披露宴での曲の再生
私が憧れていた曲を流す作業は、全体のほんの僅かな部分でした。
入社前は、キラキラと輝いていた部分しか見えていなかったのです。
入社後、想像していた作業と現実があまりにもかけ離れていたため、一気にやる気がそがれてしまいました。
結果、私にはこの仕事は合わなかったようで、3ヶ月で退職することになったのです。
「思っていたのと全然違う」
「こんなはずじゃなかった」
入社前と現実のギャップが相当なものでした。
しかし、こう思えたのは実際にやってみたからです!
実際やらないと何も分かりません。
もしこの経験をまだできていなかったら、私は今でも親戚や友達の結婚式に参列する際に毎回「あー、やってみたいな」「あの時やってみたらよかったな」とずっとモヤモヤとしていたことでしょう。
仕事は辞めてしまいましたが、今では本当に経験してよかったなと心から思っています。
現在の仕事(3社目)
そして、3社目が現在働いている職場です。
仕事は製造業です。

新卒で就職した一社目と同じ業種です。
私は、1社目でボロボロな状態でも資格取得とスキルを身につけていました。
そのため、せっかく頑張って手に入れたスキルを活かしたいと思い、転職活動をしました。
そして運よく知名度がある、いわゆる大企業と呼ばれるところに入社。
これはひとえに一社目の経験があったからこそです。
そして入社後に配属先が決まり、
「また1社目と同じ目に合わないといいけど」
と不安に思いながら、部署の皆さんに挨拶。
あのつたない挨拶から、もう5年が経ちました。
あっという間です。
これがどういう意味か一言でいうと、
「働きやすい」
この言葉に尽きます。
1社目と同じ業種なのに、こうも違うのかと思いましたね。
仕事は働く環境が大きく影響することを体感して分かりました。
もちろん、辛い時もありますが自分らしく仕事ができています。
その恵まれた環境のおかげで、私はみるみるうちに成長することができ、部署内ではもちろんのこと会社内でも貴重な人材だと声をいただきます。
また、私の入社時に面接を担当した人事の課長も、
「私(たっしー)を採用したのは俺だ」
と鼻高々に多くの従業員に言いふらしているみたいです。

今の会社は、私を必要としてくれます。
それが本当に嬉しいです。
今までは誰かに認められたくて、必要とされたくて必死に働いていました。
しかし、それではダメだったようですね。
必ず必要としてくれる会社や人がいることに気づくことができました。
私はこれからも今の会社に貢献していきたいと思っています。
伝えたいこと
勘違いしてほしくないのですが、私は自慢をしたいわけではありません。
1社目のような落ちこぼれだった私でも、環境を変えれば激変するということです!
仕事ができない人から、仕事ができると言われる人になれるのです!
(もちろん自分はできるだなんて思っていません)
考えられませんよね。しかし本当のことです。
あなたは「上司ガチャ」という言葉を知っていますか?

上司ガチャとは、上司はガチャガチャのようにランダムで決まり、自分で決めることはできないということです。
完全に運の要素なのです。
どうやら私は、1回目のガチャ(1社目)でハズレを引いたのかもしれませんね。
またこれは、上司に限った話ではなく、「仕事が自分に合うのか?」についても同じことが言えます。
「向き不向きガチャ」と言い表せばいいですかね。
私の2回目のガチャ(2社目)にように、入社して仕事をするまでは仕事の実態がほぼ分からない状態でした。
①ガチャガチャはお金を入れて(就職をして)
②カプセルを手に入れて(仕事を受けて)
③開けて中身を確認して(仕事をこなして)
④自分が望んでいたものなのかハッキリ分かります。(自分に合うのか分かります)
思っていたもの、見ていたもの、使ってみて、違うなんてことよくありますよね。
このことから私は、3回目のガチャ(現在の3社目)では当たりを引いた可能性があります。
なので、もしあなたが今働いている会社で何かしらの理由で苦しみながら毎日を過ごしているのであれば本当にもったいないです。
ガチャガチャをするタイミングなのかもしれません。
私は今の会社に転職してこう思います。
田舎の弱小校が都会の強豪校に負けるとは限りません。
学歴がない人が仕事ができないとは限りません。
今の職場で悩んでいる人が次の職場でも同じように悩むとは限りません。
落ち込むのはまだ早いですよ。
最後に、悩んでいるあなたに伝えたいことは3つです。
- 辛かったら逃げてもいいということ
- 活躍できる場が必ずあるということ
- 一歩踏み出す勇気を持つということ
長文失礼しました。
このサイトは、私のように20代で仕事に悩んでいる人の手助けになればと思い立ち上げました。
また、1日の1/3の時間を費やしている仕事を、1人でも多くの人に充実してもらい、人生を好転していただければと心から思っております。

以上、私の職歴でした。
最後までご覧いただきありがとうございました。